大阪高等裁判所 昭和42年(行コ)2号 判決 1968年10月31日
控訴人・附帯被控訴人(被告) 奈良県教育委員会
訴訟代理人 広木重喜 外四名
被控訴人・附帯控訴人(原告) 川本太郎 外二名
主文
1 原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。
2 被控訴人らの請求を棄却する。
3 本件附帯控訴を棄却する。
4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。
事実
控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人という。)は、控訴として、「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を、附帯控訴につき、「本件附帯控訴を棄却する。附帯控訴費用は附帯控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。
被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という。)らは、控訴につき、控訴棄却の判決を、附帯控訴として、「原判決を取消す。控訴人が被控訴人らに対し昭和三六年三月三一日付でなした各免職処分が、いずれも無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の主張および証拠関係は、つぎに付加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。
(控訴人の主張)
一、本件免職処分をなすに至るまでの経過。
昭和三六年二月二〇日すぎ作成せられた昭和三六年度奈良県歳入歳出予算(以下単に三六年度予算という。)案によると、同年度における県立高等学校の教員予算定数は、第一学年生徒募集人員の減少、これに伴う学級数の減少を理由に、前年に比べ二二名減少されることとなつたが、当時県立高等学校の教員には四名の欠員があつたほか、二名を従来の例により奈良県高等学校教職員組合の専従者に充当することができるので、実際に調整を要する過員は一六名であつた。控訴人は、右過員を依願退職または中学校への転出の方法によつて解消しようとし、学校長を通じこれらの希望者を募つたのであるが、前記教職員組合の反対闘争により所期の目的を達成することができず、同年三月二二日までに六名の自発退職者をみたに過ぎなかつた。控訴人は同月二三日、年令、担当教科、個人的経済事情等を基準として、被控訴人らを含む一〇名の者を退職勧奨の対象者(以下単に対象者ということがある。)に選定し(ただし、商業、工業等の職業教科は担当教員が不足していたので、これらの者を選定の対象から除外した。)、同人らに対し極力退職を勧奨したが、同月二八日に至つてもこれに応ずる者はなかつた。そこで、控訴人は、過員の解消はあくまで勧奨によることを建前とはするが、同月三一日までに対象者らが勧奨に応じない場合には、当該教員を分限免職に処することもやむを得ないと考えるようになり、同月二九日三六年度予算案および奈良県立高等学校等職員定数条例の一部を改正する条例(以下単に改正条例という。)案が奈良県議会において可決成立したので、最悪の場合に備え、同日教育長名義で対象者に当て甲第二号証の一、二のような通知書を出すことにした。そして、学校長は対象者らに対し右通知書を届けるに当たつて、さらに退職を勧奨した結果、同月三〇日に四名がこれに応じた。以上のような経過を経て、控訴人は、被控訴人らを含む残り六名の対象者に対し、分限免職の辞令書を交付したのであるが、このうち被控訴人ら以外の三名は、同年四月一日以後に任意退職を申し出たので、同人らに対してはそのような事務処理が行なわれたのである。
したがつて、対象者のうち、勧奨により退職した者およびその取扱を受けた者は合計七名となるが、その氏名、年令、退職時の勤務校、担当教科は、つぎのとおりである。
木水弥三郎 明治三二年五月七日生れ 大宇陀高校 英語
豊水利一 明治三四年八月一九日生れ 山辺高校 英語、国語、社会
田村敏夫 明治三六年三月一三日生れ 奈良高校 社会
堀内薫 明治三六年一二月一日生れ 奈良高校 国語
高石季男 明治三六年一二月二一日生れ 奈良高校 英語
米谷佐七 明治三七年二月五日生れ 大淀高校 数学
西田弘夫 明治三七年三月三〇日生れ 奈良高校 保健、体育
二、本件辞令書交付の経緯。
控訴人は、昭和三六年三月三一日ぎりぎりまで勧奨退職の線をあきらめず、同月三〇日も事務局係員を通じ被控訴人らの所属する各学校の長に対し、「分限免職の辞令書を交付するのは、四月一日にすること。それまでは退職勧奨に応ずるよう説得を続けられたい。」旨指示したのであつて、被控訴人らに対し本件辞令書を交付した経緯は、つぎのとおりである。
被控訴人川本が所属する郡山高校の校長佐藤順治は、三月三一日午前一〇時ごろ校長室に出頭した被控訴人川本の代理人玖村由紀夫、朝子哲夫に対し、「この際本人に勇退を勧めてほしい。自分から勇退を勧めたいが、連絡ができないので、代理人から校長の意思を伝えられたい。本人が自発的に退職しない場合は、四月一日午前一〇時に辞令書を渡すから、校長室に来るよう伝えてほしい。」旨申し述べ、辞令書交付の行為は全く示さなかつた。翌四月一日右代理人らが再び校長室に出頭したので、佐藤校長は同人らに対し、はじめて辞令書および解雇予告手当を交付しようとしたが、受領を拒否せられたため、同日被控訴人川本当て辞令書を郵送した。
被控訴人田和が所属する添上高校の校長南恒雄は、三月三一日午前一一時ごろ校長室に出頭した被控訴人田和の代理人寺中正昭に対し、「自分は自発退職を最上と思つて勧めている。辞令書はここに持つているが、自分は本人に会いたいからそう伝えてほしい。本人に会つて、校長として、同時に親友として話がしたい。」旨申し述べて、辞令書を交付しようとはしなかつた。同日午後三時ごろ右代理人から電話で、「本人は会う気はない。」旨連絡があつたときも、同校長は、「本人に来るよう伝えてほしい。明日午前九時半に待つている。」旨答えた。四月一日午前九時二〇分ごろ前記代理人は再び校長室に出頭し、「本人に自発退職の考はない。」旨回答したので、南校長は同代理人に対し、はじめて辞令書および解雇予告手当を交付しようとしたが、受領を拒否せられた。そこで、同校長は直接本人に交付すべく、被控訴人田和宅を訪問したが、被控訴人が不在であつたため、同日被控訴人田和当て辞令書を郵送した。
被控訴人奥本が所属する高田高校の校長小橋善輝は、三月三一日午後四時ごろ校長室に出頭した被控訴人奥本の代理人岩井宏実、安川重行から、「県から書類が来ているそうだが、どんな書類か見せてほしい。」旨性急に要求せられたので、辞令書を見せたところ、同人らがこれを写しとつた。しかし、同校長は右代理人らに対し、「奥本君がどうしても勧奨に応じないならば地公法適用ということになるが、今日の午後一二時までは余裕があるから、もう一度本人に考えるよう伝えてもらいたい。」旨申し述べて、辞令書を交付しようとはしなかつた。四月一日になつても被控訴人奥本から何の回答もなかつたので、小橋校長は、被控訴人に自発退職の意思なく、また前記代理人らの態度から見て、辞令書を交付しようとしても、受領を拒否されることは必至と考え、同日被控訴人奥本当て辞令書を郵送した。
三、本件辞令書は昭和三六年四月二日または同三日に交付せられ、処分はそのときに発効した。
職員の分限に関する条例(昭和二六年八月一三日奈良県条例第四六号)(以下単に分限条例という。)五条には、「降任、免職、休職又は降給の処分は、その旨を記載した書面を当該職員に交付して行わなければならない。」と規定せられているのであるから、本件免職処分はその旨を記載した書面、すなわち辞令書を被控訴人らに交付したときに、その効力が発生すると解するのを相当とする。
ところで、辞令書の交付行為が成立するためには、まず処分者側において、辞令書を「交付しようとする意思」が存し、これに基づいて「交付する行為」が伴うことを要する。したがつて、処分権者に辞令書を「交付しようとする意思ないし行為」がない限り、たとい相手方が辞令書の内容を知り、または知り得べき状態におかれたとしても、そのことによつて交付行為が成立する訳がない。本件の場合、控訴人は、昭和三六年三月三一日ぎりぎりまで自発退職がなされることを期待していたのであつて、控訴人の指示を受けた各学校長も、三月三一日に出頭した被控訴人らの代理人に対し、退職の勧奨に応ずるよう本人への説得を依頼して、辞令書を「交付する意思ないし行為」は全く示していないのであるから、同日右代理人らにおいて、辞令書の内容を知り、または校長が辞令書を所持していることを見、あるいは知つたとしても、それによつて本件免職処分が成立、発効するはずがない。
仮に右主張が認められないとしても、交付とは、物を他人に渡すこと、すなわち、物の所持を他人に移転することをさすのであるから、辞令書の交付があつたというには、それが相手方に直接手交されるか、または相手方の支配圏内に届かなければならない。本件の場合、前記のように、被控訴人らの代理人は、三月三一日校長室に出頭したが、単に校長が辞令書を所持しているのを予知していたとか、あるいは校長から辞令書を見せてもらつて、その内容を写しとつたとかいうに過ぎないのであつて、辞令書が手交されたのでもなく、またそれが被控訴人らの支配圏内に届いたのでもない。したがつて、同日本件辞令書は交付されておらず、本件免職処分はその効力を生ずるによしないものである。
さきに述べたように、各学校長は四月一日被控訴人らに当て辞令書を郵送したのであるが、それが同人らに到達したのは、被控訴人川本においては同月三日、他の被控訴人らにおいては同月二日であるから、本件免職処分の効力が発生したのは、右郵送による辞令書到達の日というべきである。
四、仮に本件辞令書が昭和三六年三月三一日に交付せられたとしても、地公法二八条一項四号は、定数改正または予算減少により過員を生ずる場合には、過員を生ずる直前に発効する免職処分をすることも許していると解すべきである。
本件においては、昭和三六年四月一日から高校教員の定数減を来たす三六年度予算と改正条例とが、同年三月二九日県議会の議決を経て成立し、同月三〇日知事に送付されている。このような場合、処分権者は、予算が適正に執行せられることを期して、四月一日から定数超過となるのを避けるために、地公法二八条一項四号により、その前日である三月三一日に発効するような免職処分をもなし得ると解すべきである。けだし、処分権者が四月一日以降過員が生ずることを知りながらこれを放置し、四月一日以後に免職処分をしたときは、予算の執行者はその処分の日までの給料を支給しなければならず、予算の定めによらない不当な支出を余儀なくさせられることとなるからである。
五、仮に地公法二八条一項四号について右の解釈がとり得ないとしても、同法条は前記のような過員を生ずる場合には、過員を生ずる直前に過員を生じたときに発効する免職処分をすることを許していると解すべきである。
もし、過員を理由とする免職処分が過員が生じたとき以後でなければなし得ないとすれば、それは予算の執行者に不当な支出をしいることになり、その採用のできないことは、さきに述べたところで明らかである。このような不当な支出を避けるためには、過員が生ずる直前、本件についていえば三月三一日に免職処分の辞令書を交付し、その効力は過員を生じたときに発生するような措置をとるよりほかなく、地公法二八条一項四号はこのような処分をすることまで禁じたものと解すべきではない。思うに、そうすることによつて、免職処分は三月三一日に何らかの効力が生じたとしても、それは抽象的形式的なものであつて、三六年度予算および改正条例との関係では、それらが施行される四月一日までは効力の発生する余地がなく、同日に至りはじめて具体的確定的に効力が生じたものであるといい得るからである。本件免職処分は、四月一日に効力が生じたものであつて、適法有効なものである。
六、仮に本件免職処分が三月三一日になされ、それが違法であつたとしても、右違法は四月一日において治癒されている。
昭和三六年四月一日には三六年度予算が実施に移されるとともに、改正条例も効力を生じていたのであるから、本件免職処分は、仮に三月三一日になされ、それが違法であつたとしても、四月一日の時点においては、地公法二八条一項四号所定の要件を満たし、違法は治癒されるに至つている。したがつて、本件免職処分は四月一日に効力が生じた処分として、自動的に適法化されたと解すべきである。
七、仮にそうでないとしても、前記のとおり、控訴人は被控訴人らに対し本件辞令書を郵送しているのであるから、前同様の理由により、本件免職処分のかしは、右郵送による辞令書到達の時点において治癒されるものと解すべきである。
八、仮に右主張が認められないとしても、前記郵送による辞令書交付により、三月三一日になされた免職処分は取消されるかまたは撤回され、新たな免職処分が行なわれたと見るべきである。そうだとすれば、右郵送による辞令書が被控訴人らに到達したのはいずれも四月一日以降であつて、新たな免職処分は地公法二八条一項四号の要件を充足しており、適法、有効になされたのであるから、本件免職処分は結局において適法なものであるということができる。
(被控訴人らの主張)
一、本件免職処分が辞令書の交付によつてその効力が発生するものであることは、控訴人主張のとおりであるが、辞令書等処分書の交付が成立するには、その主張のように、必ずしも処分書の手交は必要ではなく、被処分者またはその代理人において処分書の内容を了知し得る状態にあれば十分であると解すべきである。本件においては、控訴人は昭和三六年三月二八日に、同月三一日に処分を行なうことを決定し、右決定に基づいて、被控訴人らに対し三月三一日辞令書を交付するから校長室に出頭するよう通知を発して、同日被控訴人らに辞令書を交付する態勢をとつたのである。ところが、同日校長室に出頭した被控訴人らの代理人において校長らが交付しようとした辞令書の受領を拒否したため、校長らはそれを手交することができず、翌四月一日被控訴人ら当て辞令書を郵送したのであつて、辞令書の内容は三月三一日被控訴人らの代理人において了知し得る状態にあつたのであるから、本件免職処分は同日効力が生じたというべきである。
二、控訴人は地公法二八条一項四号は過員を生ずる直前に発効する免職処分をすることを許していると主張するが、本件のような免職処分は、被処分者に何らの非がないにもかかわらず、行政庁の一方的都合によつてなされ、その結果は被処分者から生計の道を奪うという刑罰にも比すべき不利益を招来するものであるから、処分の根拠となるべき条例、予算がいまだ施行されていない時点において行なわれるというがごときことは到底認容せらるべきことでない。四月一日に処分をした場合に、当日分の給料の支払が必要であるというのであれば、支出が事前に明らかであるのであるから、あらかじめこれを予算に計上すべきである。しかるに自らこれを怠り、不当支出となるゆえをもつて、過員となる直前に処分をすることが許されるというのは論理が逆である。仮に給料を支払うべき予算がないというのであれば、予備費をもつてこれに当てるべきである。
三、控訴人は地公法二八条一項四号は過員を生ずる直前に過員を生じたときに発効する免職処分をすることを許していると主張するが、予算に基づかない不当支出を避けるために右のような処分を認めることの必要性のないことは、さきに述べたところで明らかである。前記のように被処分者に対し刑罰にも等しい不利益をもたらす本件免職処分は、憲法三一条の精神にのつとり厳格な手続および実体上の規制を受けてしかるべきものであつて、控訴人主張のごとき見解は絶対に排斥されなければならない。仮にその主張のような処分方法がなされ得るとしても、処分の効力発生は四月一日であるから、当日分の給料を支払う必要のあることは、四月一日に処分をした場合と異なるところはないのであつて、それは何ら実益のないものである。
四、控訴人は本件免職処分が三月三一日になされ、それが違法であつたとしても、そのかしは後日治癒されるに至つたと主張するが、すでに述べたとおり、本件免職処分は厳格な手続および実体上の規制に服すべきものであつて、これに違反するような重大なかしは安易にその治癒を認めてはならないものである。
五、控訴人は、郵送による辞令書交付により、三月三一日になされた免職処分は取消または撤回され、新たな免職処分が行なわれたと見るべきであると主張するが、処分の取消または撤回は、独立した行政行為であるから、これらが成立するには、取消または撤回の意思とその表示行為とに相当するものが存在しなければならない。しかも、地公法二七条、二八条の各規定の趣旨からすれば、本件のような身分の得喪に関する重要な処分は、その取消、撤回は黙示的にすることは許されず、任命権者の議決を経たうえで明確になさるべきものであるというべきところ、控訴人は委員会においてこの点に関する決議をしていないのであつて、控訴人が辞令書を郵送したのは、新たな処分の意思に基づくものではなく、被処分者の代理人らの辞令書受領拒否の態度に出会いやむなくしたものであるといわねばならない。四月一日の辞令書郵送をもつて、さきの処分を取消または撤回し、新たな処分をしたと見るのは、著しく不当な擬制であるというべきである。
(証拠関係)<省略>
理由
(無効確認の訴について)
まず、被控訴人らの本件免職処分無効確認の訴について検討するに、被控訴人らの主張によれば、控訴人が奈良県立高等学校職員である被控訴人らに対し昭和三六年三月三一日付で、地公法二八条一項四号を適用してなした本件免職処分は、重大かつ明白なかしがあるから、その無効確認を求めるというにある。しかし、被控訴人らは、本件免職処分に続く処分により損害を受けるおそれがある者であるとは考えられないし、また、右免職処分の無効を前提とする現在の法律関係に関する訴によつて救済の目的を達することができない者であるともいえないのであつて、行政事件訴訟法三六条により、被控訴人らは本件無効確認の訴については原告の適格を欠くものであるといわねばならない。
原判決は相当であつて、被控訴人らの本件附帯控訴は理由がない。
(処分取消の訴について)
つぎに、被控訴人らの本件免職処分取消の訴について考える。
一、被控訴人らは、いずれも奈良県立高等学校職員であつて、被控訴人川本は郡山高校に、同田和は添上高校に、同奥本は高田高校に勤務していたものであり、控訴人は、奈良県立高等学校職員の任命権者であるところ、控訴人は、被控訴人らに対し昭和三六年三月三一日付で、地公法二八条一項四号の事由により同法条を適用して免職処分をしたことは、当事者間に争がない。
二、被控訴人らは、控訴人は本件免職処分の理由として、当初本件審査請求事案において「定数の改廃により過員を生じた」ことを主張しながら、後に本訴において「予算の減少により過員を生じた」ことを主張したのであつて、右主張の変更は許されないと主張するが、裁判所の負担軽減、争訟の経済等、訴願前置制度の目的である諸点を考慮しても、このような主張の変更を許さないとする合理的根拠に乏しいのみならず、控訴人が右審査請求事案において、本件免職処分の理由として「定数の改廃により過員を生じた」ことだけを主張し、「予算の減少により過員を生じた」ことを主張しなかつたことを認めるに足りる資料はない、被控訴人らの主張は理由がない。
三、成立に争がない甲第二号証の一、二、第七号証、第一〇号証の一、乙第一号証の一ないし三、第二号証、第三、第四号証の各一ないし三、第五号証の一ないし四、第六号証、第一一号証、第一四号証の一ないし三、原審証人田中富士男、井上正文、田中良夫の各証言、当審における証人佐藤順治、南恒雄、小橋善輝、阿部啓の各証言、被控訴人川本、田和、奥本の各本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、本件免職処分をなすに至るまでの経過として、つぎの事実が認められる。
控訴人は昭和三六年一月一六日、奈良県における同年の中学校卒業予定者が前年より減少することに伴い、昭和三六年度県立高等学校第一学年生徒募集人員を通常制課程三、四八〇名、定時制課程七三〇名と決定したが、右人員は、昭和三五年度のそれに比し通常制課程で一、二七〇名、定時制課程で一三〇名の減少であつた。その後三六年度予算案が作成せられ、右予算案によると、同年度における県立高等学校の教員予定数は、第一学年生徒募集人員の減少等を理由に前年度に比べ二二名減少されることとなつた。当時教員には四名の欠員があつたほか、二名を従来の例により奈良県高等学校教職員組合の専従者に充当することができるので、実際に調整を要する過員は一六名であつた。控訴人は、右過員を依願退職または中学校への転出の方法によつて解消しようとし、学校長を通じこれらの希望者を募つたのであるが、前記教職員組合の反対闘争により所期の目的を達成することができず、六名の自発退職者をみたに過ぎなかつた。そこで、控訴人は、年令、担当教科、個人的経済事情を考慮して、被控訴人らを含む一〇名の者を退職勧奨の対象者に選定し、同人らに対し極力退職を勧奨したが、これに応ずる者はなかつた。控訴人は昭和三六年三月二八日、過員の解消はあくまで勧奨によることを建前とはするが、同月三一日までに対象者らが勧奨に応じない場合には、地公法二八条を適用して当該教員を同日付分限免職に処することに方針を決定した。奈良県議会は同月二九日、三六年度予算案および同予算に伴い高等学校等職員の定数を改正した改正条例案を可決する運びとなつたので、控訴人は、前記対象者らを分限免職に処する場合に備え、右同日、辞令書交付のため出頭を求める通知書(甲第二号証の一、二ほか)および辞令書(乙第一四号証の一ないし三ほか)を作成し、これらを対象者らの所属する各学校の長に手交した。学校長は対象者らに対し右通知書を届けるに当たり、さらに退職を勧奨した結果、同月三〇日四名がこれに応じた。以上のような経過を経て、控訴人は、被控訴人らを含む残り六名の対象者に対し、分限免職の辞令書を交付することになつたのであるが、このうち被控訴人ら以外の三名は、任意退職を申し出たので、同人らに対しては勧奨による退職と同様の事務処理が行なわれた。
以上の事実が認められるのであつて、右認定を左右するに足りる証拠はない。
四、前記一、三の事実に弁論の全趣旨を合せ考えると、控訴人は、三六年度予算および改正条例に基づいて、すなわち、予算の減少および定数の改廃により過員を生じたことを理由として、本件免職処分をしたことは明らかである。
五、被控訴人は、本件免職処分は三六年度予算および改正条例が施行される以前になされたもので、違法であると主張する。
成立に争がない乙第二号証、第七号証の一、二、第八号証によれば、三六年度予算および改正条例は、昭和三六年三月二九日可決せられて成立し、同月三〇日県議会議長から知事に送付せられた。そして、右予算はその会計年度の始まる同年四月一日から実施せられ、改正条例は同年三月三一日公布、翌四月一日から施行せられたことを認めることができる。
ところで、分限条例五条には、「降任、免職、休職又は降給の処分は、その旨を記載した書面を当該職員に交付して行わなければならない。」と規定せられているのであるから、本件免職処分はその旨を記載した辞令書を被控訴人らに交付したときに成立し、効力が発生すると解するのを相当とするところ、成立に争がない甲第二号証の一、二、第一〇号証の一、二、乙第一一号証、第一四号証の一ないし三、第一七号証、原審証人井上正文、田中良夫の各証言、当審における証人玖村由紀夫、寺中正昭、岩井宏実、佐藤順治、南恒雄、小橋善輝、阿部啓の各証言(玖村、岩井については一部)、被控訴人川本、田和、奥本の各本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、本件辞令書交付の経緯として、つぎの事実が認められる。
控訴人は、前記のとおり、各関係学校長に通知書および辞令書を手交したが、その後昭和三六年三月三一日一杯は勧奨退職の線をもつて臨むこととし、同月三〇日事務局係員を通じ被控訴人らの所属する各学校の長に対し、「免職の辞令書を交付するのは四月一日にし、それまでは退職勧奨に応ずるよう説得を続けてほしい。」旨指示した。
被控訴人川本が所属する郡山高校の校長佐藤順治は、三月三一日午前一〇時ごろ校長室に出頭した被控訴人川本の代理人玖村由紀夫らに対し、「この際本人に勇退を勧めてほしい。本人が自発的に退職しない場合は、四月一日午前一〇時に辞令書を渡すから、校長室に来るように伝えられたい。」旨申し述べて、右代理人に辞令書を交付する態度はとらなかつた。翌四月一日前記代理人らが再び校長室に出頭したので、佐藤校長は同人らに対し、はじめて辞令書および解雇予告手当を交付しようとしたが、受領を拒絶せられたため、控訴人は同日被控訴人川本当て辞令書を郵送した。
被控訴人田和が所属する添上高校の校長南恒雄は、三月三一日午前一一時ごろ校長室に出頭した被控訴人田和の代理人寺中正昭に対し、「自分は自発退職を最上と思つて勧めている。辞令書はここに持つているが、自分は本人に会いたいからそう伝えてほしい。本人に会つて、校長として、同時に親友として話がしたい。」旨申し述べて、辞令書を交付しようとはしなかつた。同日午後三時ごろ右代理人から電話で、「本人は会う気はない。」旨連絡があつたときも、同校長は、「本人に来るよう伝えてほしい。明日午前九時半に待つている。」旨答えた。四月一日同時刻ごろ前記代理人は再び校長室を訪れ、「本人に自発退職の考はない。」旨回答したので、南校長は同代理人に対し、はじめて辞令書および解雇予告手当を交付しようとしたが、受領を拒否せられた。そこで、同校長は直接本人に交付すべく、被控訴人田和宅を訪問したが、被控訴人が不在であつたため交付することができず、控訴人は同日被控訴人田和当て辞令書を郵送した。
被控訴人奥本が所属する高田高校の校長小橋善輝は、三月三一日午後三時ごろ校長室に出頭した被控訴人奥本の代理人岩井宏実らから、「県から書類が来ているそうだが、どんな書類か見せてほしい。」旨性急に要求せられたので、辞令書を見せたところ、同人らがこれを写しとつた。しかし、同校長は右代理人らに対し、「奥本君がどうしても勧奨に応じないならば地公法適用ということになるが、今日の午後一二時までは余裕があるから、もう一度本人に考えるように伝えてもらいたい。」旨申し述べて、辞令書を交付しようとはしなかつた。四月一日になつても被控訴人奥本から何の回答もなかつたので、小橋校長は、はじめて辞令書および解雇予告手当を本人に交付すべく、被控訴人奥本宅を訪問したが、被控訴人が不在であつたため交付することができず、控訴人は同日被控訴人奥本当て辞令書を郵送した。
以上の事実が認められるのであつて、当審証人玖村由紀夫、岩井宏実の各証言中右認定に反する部分は、前掲証拠に照らし採用しない。
右事実によれば、控訴人および前記校長らは、三月三一日にはまだ本件辞令書を交付する意思がなく、したがつてそれを交付する行為にも及ばなかつたことが認められる。
甲第二号証の一、二の通知書には、辞令書交付のため出頭すべき日として昭和三六年三月三一日が、乙第一四号証の一ないし三の辞令書には発令日付として右同日がそれぞれ記載されているが、当審証人阿部啓の証言によれば、控訴人は、これらを作成した同月二九日には辞令書を三月三一日に交付するつもりであつたところ、同月三〇日に至り辞令書を四月一日に交付することに方針を変えたことが認められるから、これら書証は右認定を妨げる資料ではなく、甲第三号証の一ないし三の供託通知書の供託原因欄には、「被供託者は、昭和三六年三月三一日免職辞令を交付されたが、受領を拒否した。」旨の記載があるが、供託通知書の作成は単なる事務的処理であつて、前掲証拠と対比して特に右記載を信用しなければならない訳のものではないから、右書証は前記認定をくつがえすに足りるものではない。つぎに、甲第一二号証の昭和三六年四月一一日の朝日新聞には、新聞記者の、「改正条例の施行が四月一日からであるのに、どうして三月三一日付で免職処分を発令したか。」との問に対し、井上正文教育長が、「日付は三月三一日になつているが、三一日の深夜ぎりぎり、つまり一日に入る寸前に発令した。三一日付にしたのは十分検討したうえだ。」と答えている記事があるが、本件免職処分が三月三一日の深夜に発令せられたことは、当事者において何ら主張していないところであるのみならず、問答の内容からもうかがえるように、右は処分の発令日付が問題とせられたことに対する弁明に過ぎないものであつて、前掲証拠に比しそれほど信用のできるものとは考えられない。また、甲第一三号証の本件審査請求事案の口頭審理速記録の写には、控訴人提出の答弁書の朗読および控訴人の代理人小田成就の釈明陳述の内容として、「控訴人は三六年度予算を適正に執行するため、同予算年度開始の前日である昭和三六年三月三一日に本件免職処分を発令した。」旨の記載があるが、右は審査請求事案における当事者の主張であり、しかも本訴においてはそれと異なる主張をしているのであつて、前記主張があるからといつて、そのように認定しなければならないものではない。これら書証は前記認定をくつがえすに足りる資料とはし難い。その他これを左右するに足りる証拠はない。
被控訴人らは、辞令書の交付が成立するには必ずしも辞令書の手交は必要ではなく、被処分者またはその代理人において辞令書の内容を了知し得る状態にあれば十分であると主張するが、前記認定のとおり、控訴人および校長らにおいて辞令書を交付する意思がなく、したがつてそれを交付する行為に及ばなかつた以上、たとい被控訴人らの代理人が辞令書の内容を了知しており、または了知し得る状態にあつたとしても、これがために交付が成立するはずがない。
控訴人が昭和三六年四月一日被控訴人らに当て本件辞令書を郵送したことは前記のとおりであつて、それが同人らに到達したのは、被控訴人川本においては同月三日、他の被控訴人らにおいては同月二日であることは、被控訴人らにおいて明らかに争わないので、自白したものとみなす。本件免職処分の効力が発生したのは、右郵送による辞令書到達の日といわねばならない。
したがつて、本件免職処分が三六年度予算および改正条例の施行前になされた違法のものであるとの被控訴人らの主張は理由がない。
六、被控訴人らは、本件免職処分は、その手続および効果を定むべき地公法二八条三項に基づく条例、その他法律上の基準によることなく、無原則になされたもので、違法であると主張する。
地公法二七条二項、二八条三項に基づき制定せられた分限条例には、五条に、「降任、免職、休職又は降給の処分は、その旨を記載した書面を当該職員に交付して行わなければならない。」と規定せられているほか、本件免職の手続および効果について何ら規定がない。しかし、地公法は、分限および懲戒の基準として同法二七条に、「すべて職員の分限及び懲戒については、公正でなければならない。職員は、この法律で定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、若しくは免職されず、この法律又は条例で定める事由による場合でなければ、その意に反して、休職されず、又、条例で定める事由による場合でなければ、その意に反して降給されることがない。職員は、この法律で定める事由による場合でなければ、懲戒処分を受けることがない。」と規定し、これを受けて分限について、同法二八条一項に降任、免職の事由を、二項に休職の事由を定め、三項に、「職員の意に反する降任、免職、休職及び降給の手続及び効果は、法律に特別の定がある場合を除く外、条例で定めなければならない。」と規定しているのであつて、同項の趣旨は、分限が公正に行なわれることを保障して、法律に特別の定がある場合を除き、これらの処分の手続および効果に関する規定は条例によつて定めなければならないことを規定したのであつて、右手続および効果について条例でもつて漏れなく規定しなければならないことを定めたものではないと解するのを相当とする。したがつて、本件免職処分が、分限条例において五条のほかその手続および効果について何ら規定がないままなされたからといつて、そのために右処分が当然に違法となるものではない。条例に規定はなくとも、処分が法律に定める事由に基づき公正に行なわれる限り、それは地公法二七条の基準に従つてなされたものであつて、無原則に行なわれたということはできない。本件免職処分が地公法二八条一項四号に該当し、公正に行なわれたことは、前記一、三ないし五、後記七、八に述べるところにより明らかである。本件免職処分は憲法三一条に違反するものではない。被控訴人らの主張は理由がない。
七、被控訴人らは、本件免職処分はその決定の手続に違法があると主張する。
控訴人が昭和三六年三月二八日、過員の解消はあくまで勧奨退職によることを建前とするが、同月三一日までに対象者が勧奨に応じない場合は、地公法二八条を適用して当該職員を同日付分限免職に処することを決定したことは、すでに三で認定したとおりである。成立に争がない乙第一一号証、原審証人井上正文の証言によれば、右決定は第一二回臨時委員会会議において決せられたものであつて、教育長の専決によるものではない。控訴人は同月三一日、第一三回臨時委員会会議において前記決定を再確認したが、同会議には四名の委員が出席して、定足数は満たされていたことが認められる。甲第一号証の「教育委員会開催日および出席委員」と題する書面には、三月三一日の欄に、「二名出(吉田、柳沢氏)」の記載があり、成立に争がない甲第七号証、原審証人田中富士男の証言によれば、右は同証人が控訴人の委員会の出席簿を見て、その内容をメモしたものであることが認められるけれども、これら書証および証言は、前掲証拠に照らし、右認定をくつがえすに足りるものではなく、その他これを左右するに足りる証拠はない。
前記三月二八日、同三一日の各会議が開催の日時、場所を告示することなく招集せられたことは、当事者間に争がない。しかし、奈良県教育委員会会議規則(昭和二三年一一月一日議決)三条には、「委員長は前条の会議を招集しようとするときは、会議の日前二日までに会議開催の日時及び場所を告示すると共に書面をもつて委員に通知しなければならない。ただし、急施を要する場合はこの限りでない。」と規定せられ、緊急の場合における例外的措置が認められているのであつて、原審証人井上正文の証言および弁論の全趣旨によれば、当時右各会議が急を要するものであり、委員長もそのような判断のもとに会議を招集したことが認められるから、各会議が、開催の日時、場所を告示することなく招集せられ、また仮にそれらを書面により委員に通知することなく招集せられたとしても、そのために会議招集の手続に違法があるということはできない。
被控訴人らは、控訴人が前記告示をなすことなく奈良県民に会議傍聴の機会を与えなかつたことは、会議公開の原則に違反すると主張するが、教育委員会の会議は公開を要件としているものではないから、控訴人の右処置に違法があるということはできない。
被控訴人らは、控訴人が本件免職処分をするについて、被控訴人らの所属する各学校の長に対し意見を求めなかつたことは、地方教育行政の組織及び運営に関する法律三六条に違反すると主張するが、同条は、「学校その他の教育機関の長は、この法律及び教育公務員特例法に特別の定がある場合を除き、その所属の職員の任免その他の進退に関する意見を任命権者に対して申し出ることができる。」と規定しているのであつて、任命権者が職員の任免等をなす場合に、その所属する学校等の長からの意見具申を要件としているものではないから、仮に控訴人が本件免職処分をなすにつき、各校長の意見を徴しなかつたとしても、そのために手続に違法があるということはできない。
被控訴人らは、控訴人が本件免職処分をするにつき、被控訴人らに告知せず、また被控訴人ら関係者に聴聞の機会を与えなかつたことは、適正手続条項に違反すると主張するが、本件免職処分については、右のような告知をなし、聴聞の機会を与えることを手続上要求する規定は存しないのみならず、またそれらがなされないことをもつて、直ちに手続が不適正であると断定しなければならないものでもない。被控訴人らの右主張は当たらない。
被控訴人らは、本件免職処分は被控訴人らだけを免職するに至つた事実認定の手続が不公正で、適正手続条項に違反していると主張するが、前記三、五、後記八で述べるところにより、右主張は採用することができない。
以上の次第であつて、本件免職処分はその決定の手続において被控訴人ら主張の違法はなく、また憲法三一条に違反しているものではない。
八、被控訴人らは、本件免職処分は、被控訴人らを対象としたことの基準が無原則であつて、違法であると主張する。
成立に争がない甲第七号証、第一〇号証の一、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第四号証の一、二、原審証人田中富士男、井上正文、田中良夫、当審証人佐藤順治の各証言および弁論の全趣旨によれば、つぎの事実が認められる。
控訴人は、年令、担当教科、個人的経済事情を考慮して退職勧奨の対象者を選定したことは、すでに三で述べたが、担当教科については、商業、工業等の職業教科の担当者は、教員が不足しているため選定から除外するというだけであり、個人的経済事情については、退職後の恩給の有無を調べ、直ちに生活困窮に陥ることのないよう配慮したに過ぎないのであつて、選定の主たる基準となつたのは、以下の事実からも明らかなように年令であつた。
一〇名の対象者の生年月日は、被控訴人奥本が明治二六年五月二五日、大字陀高校の木水弥三郎が同三二年五月七日、山辺高校の豊水利一が同三四年八月一九日、被控訴人田和が同三五年四月一九日、被控訴人川本が同三五年七月三一日、奈良高校の田村敏夫が同三六年三月一三日、同校の堀内薫が同三六年一二月一日、同校の高石季男が同三六年一二月二一日、大淀高校の米谷佐七が同三七年二月五日、奈良高校の西田弘夫が同三七年三月三〇日であつて、被控訴人奥本はそのうちの最高年令者、被控訴人田和は四番目、被控訴人川本は五番目の高年令者であつた。
控訴人は右対象者を選定する以前から、特に基準を定めることなく、各学校の長をして対象者以外の高年令者に対しても自発的に退職するよう勧奨せしめていたのであるが、それらの者の年令は、商業または工業を担当する者では、奈良商工高校の高田文長が明治三五年七月生れ、五条高校の西栗正信が同三五年一〇月生れ、吉野工高校の大山益光が同三六年九月生れであり、他の教科を担当する者では、郡山高校の奥田政雄が明治三六年四月生れ、添上高校の神田三郎兵衛が同三七年三月生れ、山辺高校の岩本六郎が同三七年一月生れ、郡山高校の大沼某が当時五五才前後であつたほか、一一名が明治三七年一〇月から同四二年九月までの生れであつた。
以上の事実が認められるのであつて、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
被控訴人らは、同人らより年令の高い者が免職にならず、非常勤講師としてあるいは全く身分も変らないで勤務しているから、本件免職処分は年令を基準としたものとはいえないと主張する。被控訴人川本と同様明治三五年七月生れの高田文長が対象者とならなかつたことは、前記のとおりであるけれども、それが同人の担当する教科によるものであることも前記事実により明らかである。また、前記甲第四号証の一によれば、被控訴人田和、同川本より、高年令の木水弥三郎、豊水利一が、非常勤講師として勤務していることが認められるが、同人らが対象者に選定せられたことは前記のとおりであるから、右事例をもつて対象者の選定が年令を基準としたものではないということはできない。その他被控訴人ら主張事実を認めるに足りる証拠はない。対象者選定の基準がそのまま免職処分の基準でもあつたことは、すでに三で述べたところにより明らかである。被控訴人らの右主張は採用することができない。
被控訴人らは、本件免職処分は、それに先立ちなされた退職勧奨が教科に関係なく行なわれており、また処分後にも、英語あるいは数学を受持ちながらその教員免許状を有しない者が相当数在職しているから、担当教科を考慮してなされたものということはできないと主張する。控訴人が担当教科を考慮したというのは、対象者を選定するに当たり、商業および工業等職業教科の担当者を除外しただけであることは、前に述べたところである。対象者選定に先立つ退職勧奨が教科に関係なく行なわれたことは、前記のとおりであるが、そのような退職勧奨が行なわれたからといつて、その後の対象者選定において教科について何らの考慮も払われるはずがないということはできない。また、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一、二によれば、被控訴人川本、同奥本は英語を、被控訴人田和は数学を担当していた者であるが、本件免職処分後にも英語の教員免許状なくして英語を受持つている者五名、数学の教員免許状なくして数学を受持つている者八名が在職していることが認められるが、右事実は控訴人が職業教科について前記のような考慮を払つたことがないとする根拠とすることはできない。控訴人は担当教科を考慮して本件免職処分をしたのであつて、被控訴人らの右主張は当たらない。
控訴人は前記のとおり年令等を考慮して対象者を選定し、その結果被控訴人らを免職処分に処したのであるが、右が果たして客観的な基準に基づいて公正に行なわれたかどうかについて検討する。
個人の能力を年令によつて判断することのできないことはいうまでもないが、本件のような場合過員を解消する方策として高年令順に整理することは、最も一般的な手段方法であり、客観的にも公平な措置であるといわねばならない。また、控訴人が、恩給者または受給資格取得者を整理の対象としたことも適当な配慮であつて、それ自体何ら非難せらるべきことではない。ただ、職業教科の担当者は補充が困難であるとして、対象者の選定から除外したのであるが、前記のとおり、これに先立つ退職の勧奨では教科は何ら関係がなかつたのであり、本件免職処分後にも、一三名の者が英語または数学の教員免許状なくしてそれら教科を受持つているのであつて、これらの事実を考えるときは、控訴人が右のような基準を設けたことは、職業教科の担当者だけに利益を与えるもので、公平を失する処置であるとも解せられなくはないが、前記事実によれば、対象者のうち、被控訴人奥本は最高年令者、同田和は四番目、同川本は五番目の高年令者であり、仮に職業教科担当者を除外することなく高年令順に一〇名を選定しても、被控訴人川本が六番目となるだけであつて(原審証人井上正文の証言および控訴人の昭和四〇年五月二四日付答弁書の記載等弁論の全趣旨によれば、高田文長は明治三五年七月一五日生れであることが認められる。)、他の被控訴人らの順位には変更がないのであるから、結局において、被控訴人らを対象者に選定したことは、高年令順を基準とした公正な措置であるといわなければならない。本件免職処分は客観的な基準に基づいて公正に行なわれたものであるということができる。
被控訴人らは、控訴人は昭和三六年度中に多数の教員を新規採用しているのであつて、本件免職処分は過員を理由とするものではあり得ず、不公正な処分であると主張するが、前記一、三、四の事実に徴するときは、控訴人が昭和三六年度中に多数の教員を新規採用したからといつて、本件免職処分が過員を理由とするものではあり得ないということはできない。被控訴人らの右主張は理由がない。
以上の次第であつて、本件免職処分は被控訴人らを対象としたことの基準が無原則であつて、違法であるとの被控訴人らの主張は採用しない。
そうだとすると、本件免職処分の取消を求める被控訴人らの本訴請求は失当であり、これを認容した原判決は不当である。控訴人の本件控訴は理由がある。
そこで、民訴法三八四条、三八六条、九六条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(広木重喜、樋口哲夫、名城潔の訴訟代理権について)
なお、被控訴人らは、法務大臣が、国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律七条三項により、広木重喜、樋口哲夫、名城潔を本件訴訟を行なわせる者に指定したことは、違法、無効であり、同人らは訴訟代理権を有しない旨主張する。これに対する当裁判所の見解は、つぎのとおりである。
被控訴人らは、同人らは奈良県立高等学校の教員であつたものであり、同高等学校の教育費は奈良県がすべて負担し、国庫には関係がないのに、法務大臣が控訴人のため訴訟代理人を指定することは、前記法条にいう「国の利害を考慮して必要があると認めるときは」との規定に違反するものであると主張する。しかし、同法律は、七条一項に、「地方公共団体その他政令で定める公法人は、その事務に関する訴訟について、法務大臣にその所部の職員でその指定するものに当該訴訟を行なわせることを求めることができる。」と、同三項に、「第一項の請求があつた場合において、法務大臣は、国の利害を考慮して必要があると認めるときは、所部の職員でその指定するものにその訴訟を行なわせることができる。」と規定しているのであつて、右規定の体裁および文言、ならびに行為の性質から考えると、訴訟を行なわせることの必要の有無についての判断は大臣の自由な裁量にゆだねられていると解するのを相当とする。したがつて、「国の利害を考慮して」とあるのを被控訴人ら主張のように狭く解釈して、国と地方公共団体等との間にその主張のような直接の利害関係が存しない限り、法務大臣は指定を行なつてはならないと解するのは正当ではない。
被控訴人らは、法務大臣がその所部の職員をして本件訴訟をなさしめることは、国が地方自治および教育行政の独立を犯すことになると主張するが、地方公共団体からの請求を待つて訴訟代理人を指定するのであるから、法務大臣がその指定する者をして訴訟を行なわしめても、地方自治や教育行政の独立を犯すことにはならない。
被控訴人らは、いわゆる国の指定代理人が訴訟を行うときは、いたずらに国費を使用して訴訟を遅延せしめ、被控訴人らを事実上圧迫することとなるから、憲法三二条を空文化するものであると主張するが、国の指定代理人が訴訟の完結を必ずしも遅延せしめるものでないことは、日ごろ訴訟を通じ一般に経験するところである。被控訴人らの右主張は当たらない。
被控訴人らは、控訴人である奈良県教育委員会は前記法律七条一項の地方公共団体、その他政令で定める公法人のいずれにも該当しないから、第一項の請求をすることができないと主張するが、教育委員会は地方公共団体の執行機関であつて、地方公共団体として右請求をなし得るのであるから、被控訴人らの右主張の失当であることは明らかである。
以上の次第であつて、広木ほか二名が訴訟代理権を有しないとの被控訴人らの主張は理由がない。
(裁判官 坂速雄 岩本正彦 谷口照雄)